B.素晴らしい眺望 物語リストに戻る
B1.牛天神(北野神社)からの眺め
小石川台地の南の先端にある北野神社、通称牛天神は名所図絵や浮世絵にしばしば登場する人気のスポットである。現在はマンションに囲まれ南側に開ける眺望は見る影もないが、残された隙間からその素晴らしさを想像できる。
■牛天神からの眺望と推定される北斎の『礫川雪の旦』
 葛飾北斎の富嶽三十六景のうち、唯一の雪景色であるこの絵は牛天神の中にあった茶屋からの眺めを描いたものではないかという説がある。旦とは早朝という意味。雪の朝早く、神田川を見下ろし富士山を間近に鑑賞しながら朝食をとる粋で贅沢な庶民の生活が描かれている。川の上空を三羽の鳥が舞っているが、近くの富坂の別名でもある鳶坂の由来となった鳶ではなかろうか。
■かつての牛天神境内
 神田上水を渡り、高台へ石段を一気に登ると本殿があり、西側に見晴らしの良さそうな茶屋がある。その脇の西側石段は現在も残っている。北側にある牛坂の昇り口にある牛石は現在、上の本殿横にある。中世には、石段の下あたりは平川の入江であったらしい。寿永元年(1182)頼朝が東国追討の際に、入江の松に船を繋ぎ、この石に腰掛けて凪を待っていて、ついウトウトとした。夢の中に菅公(菅原道真)が牛に乗って現れ、頼朝に2つの幸運が訪れると告げ、武運満足の後は小社を営み報告するようにと言って去った。夢から覚めて自分の腰掛けていた盤石をよく見ると菅公の乗っていた牛にそっくりであった。不思議に思っていたが、その年の秋、頼家が生まれ、翌年の夏は動かずして平家がことごとく敗れた。頼朝はお告げを思いだし、この地に天満宮を勧請したという。
■江戸から明治にかけての牛天神
 二代歌川広重による文久3年(1863)の江戸名勝図絵(左下図)では、牛天神のシンボルである長い石段と眼下に望む神田上水、はるかなる富士山が描かれ、眺望の名所であったことがうかがえる。明治の終わり頃、知る人ぞ知る職人的画家、山本松谷が描いた牛天神の境内と階段が『新撰東京名所図絵』(明治39、1906)にある(右下図)。境内で女の子達が「かごめかごめ」をして遊んでいるところへ男の子達が蛇の死骸を棒で吊していたずらしに来る。4、50年前までは、東京の下町でよく見られた風景である。松谷の絵は、この作品に限らず、当時の庶民や子供達の生活が愛情をもって描かれており、まさに古き良き時代を彷彿とさせる。
■現在の牛天神
 南側崖地は残念ながらマンションでほとんどふさがれ、眺望はマンション住民の特権になってしまった。残された西側の石段と北側の牛坂の上から辛うじて東京の眺めを垣間見ることができる。神社境内は静かでそれなりに落ち着ける場所となっている。

■西側石段の昇り口(写真左)と石段の上からの見下ろし。

■境内南西側から見た眺望。晴れれば富士山も見えるのでは。■牛坂の上から西側を見る。ビルは凸版印刷本社。
B2.小日向公園
 小日向地区は小石川台地の南向き傾斜地にあり、名前の通り、日当たりよく眺望も優れた場所である。明治の頃から次第に市街化し、新渡戸稲造も居を構えた静かで明るく、それでいて親しみやすい雰囲気があり、都内でも最高の住宅地と言える。最も眺望の優れた南向き高台にはお寺がずらりと並んでおり、墓地も居心地が良さそうである。そんな地区の中に唯一、誰でも気軽に入れる場所がある。かつての眺望の良さをどうにか味わえるその小さな公園が小日向公園である。但し、残念ながら眺望の得られる南側にはフェンスが張られておりのびのびとは眺められないのが唯一の欠点と言える。

■ポケットパーク又・小日向公園(左上)■小日向から水道端へ降りる服部坂・都心地区が見える。(右上)

■小日向公園からの眺望。南下はお寺が集積。  ■遠く新宿副都心が見えるので富士山も見えるのでは。

B3.白山御殿跡(現小石川植物園)の見晴らし
 徳川五代将軍綱吉が将軍就任以前、館林侯であった時代に住んでいた屋敷が現在の小石川植物園である。もともと白山神社や氷川神社があった高台だったので白山御殿と呼ばれていた。その後、御殿跡は、幕府の薬園になり、享保7年(1722)には「赤ひげ」で有名な小石川養生所が設けらた。綱吉が楽しんだであろう眺望は、現在、植物園の西北にある展望地から望める。大気の状態が良ければ富士山を見ることが可能なのではないかと思うが、確かめてはいない。



B4.富士見坂のいろいろ

 東京にはたくさんの富士見坂があるが、現在でも富士山を見ることができる富士見坂は、なかなかない。小石川には富士山の方角に向いた坂がたくさんあるが、実際に富士を見ることができる坂は確認してない。かつてはよく見えたことから富士見坂あるいは富士坂と呼ばれた2つの坂を以下にご紹介する。
藤坂(富士坂、禿坂カムロサカ)    谷越しに富士山を見る典型的立地
 桜並木で有名になった播磨坂から春日通りを渡り西の茗荷谷へ下る坂で、現在でも地下鉄の車両基地の向こう側を遠くまで見通せる。坂を下った左側に傳明寺(藤寺)がある。三代将軍家光が牛込高田周辺で鷹狩りをした帰り道、この寺に立ち寄り庭一面に藤があるのを見て「藤寺」と命名したことから、この坂を普通は藤坂というが、この坂から富士山がよく見えたので富士坂とも言われる。また、その下にある谷は茗荷谷であるが、かつて清水が湧き、清水谷とも呼ばれ、その湿地帯に河童(禿)が出没したので禿(カムロ)坂とも言う。
    藤寺のみさかをゆけば清水谷
        清水流れて蕗の薹(ふきのとう)もゆ      (金子薫園)


御殿坂(富士見坂)
 植物園の南側の坂で植物園の樹木が大きくない享保の頃は、富士山がよく見えたと『江戸志』に記されている。

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